今日の礼拝の感想
もう障害のレベルでしかないけど今日の説教も聞くに堪えないレベルのものだった。
結局自分のいいたいこと、このブログ等をちまちま読んで批判されたことへの恨みつらみ、あと自分を評価しろだのなんかそれこそ
「人間的な」老人の繰り言をひたすら聞かされる非常に無意味な時間でした。
どうして信徒増えないんだろうね。
聖書じゃない、あんたの言いたいことだ。
その区別の自覚が無いらしい
俺はもう批判したいとか敵とかじゃなくて、
あんたの幼稚な独善とかかわりたくないだけ。
頼むから自由にして。
母さん、いろんな名目つけて中身の無い礼拝に俺を巻き込むのを辞めて。
拷問
言っちゃ悪いけど菅野教だよ。どうみても。
そしてキリスト教を知らない人間(求道者っていうの?)が聞いたら吐き気のするような内輪の自己満足の世界。
きもい
俺や信徒はあんたの自己顕示欲の受け皿じゃない。
そういうことに、説教という相手を長時間拘束する場所を利用されることが、どれだけ不快なことか、わかりますか?