短編

メアリーは皿を洗っていた。

すると特大のゴキブリが排水溝から突如出てきた。

すごく不快だ。メアリーは嫌悪感でいっぱいになり、ゴキジェットをまさぐったが無い。

こういうときに限ってきらしてる!


旦那のジョージには買ってくるようにひと月ほど前に言ったはずだ。このだらしない性格。離婚しようかしら。

というほど気分の悪さは上昇しており、気分は動転していた。


この図々しい生命力が気に入らない。存在を強く主張ししぶとく寄生し続ける。


洗剤はないか。メアリーは炊事場を離れた。

この間にこの忌まわしき昆虫が食器をけがさないことを心配している暇はメアリーにはなかった。


どこにも洗剤はなかった。


頭に血が上ったメアリーは家を出たきり二度と帰ってこなかった。




二人の間に子供はいなかったという。

短編 「ぼくは斎藤マイケル」(3)

※この内容はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。




気づくと僕はヤクザたちに囲まれ、しめ縄のようなものでくくられて血まみれで倒れていた。

体全体がすごく痛い。この痛みは、何よりも僕が現実にここにいるということを示した。僕の一生(18年の生涯)というものはまるで漠然とした抽象画のようなもので、何一つ幸福と言えるような経験はなく、つねに欠乏と嫉妬を抱えていた。

だが今、僕は非常に穏やかに死のうとしている。


原口みさが暴力団原口組の幹部の娘であり、僕がしたことの連絡が彼女の父に言ったらしい。



痣だらけになって白目を剥いた壕矢が隣で許しを乞うていた。


僕はもうどうでもいいと思った。



(おしまい)

短編 「ぼくは斎藤マイケル」(2)

※この内容はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。


コンパの日、僕はそこに薬学部の女性たちが集まっていることを知っていた。

自己紹介からはじまる。

「はじめまして、私○○大学薬学部の原口みさでーす☆」

この女(ほかの女はどうでもいい)はまるで女優のような美しさを秘めていた。上品で整った顔の骨格が、そこから表出されるタンパク質の結晶がどのみちを通っても必ず芸術品になることを確約していた。



僕は唾を呑んだ。そしてまた固まりもした。


僕は自分を憎悪した。普段自分の対象外になる女を僕はひどく見下し唾すらもひっかけたが、今僕は相手の、度肝をぬく美しさと女性らしい愛らしいかわいらしさによって蛇に睨まれたカエルのようになっている。


この僕がまるで!



そしてコンパは進行する。事態の詳細を、この日記を読んだあなたに把握してもらうことは目的から外れる。しかし、混乱を避けるため、簡潔に記しておこう。


女は3名。男は僕も含めて4名だ。


というのは本当は3:3だったが壕矢という3年のクソ野郎のせいだ。こいつはいつも自分の身に合わない女の尻を追いかけ回している淫獣で、法律が許せば刺し殺してやりたいほど不快の代名詞のような男で、
下品だった。




こいつが今回のコンパに割り込んできたのも、原口みさを口説きたいがためであった。そしてこいつは後輩が何も言えないことをいいことに、原口みさの隣に座った。



明らかに全員が不快感を感じていた。女たちは戸惑っていた。

僕は原口みさを救わなければならないと思った!


気づいたらポケットからサバイバルナイフを取り出した僕。手が震えていたため抜くときに自分の左手を軽く切った。


だがそのままひるまずに僕は壕矢の鼻を狙い、かわされ、大騒動に。僕を静止しようとした平山の喉を刺したため平山が倒れる。女たちの顔が青ざめる。





原口さん、僕をそんな目でみないでよ・・・



僕は激昂した。壕矢は素早くボックスから逃げ、僕は原口みさにものすごい憎悪を感じた。


(つづく)

短編 「ぼくは斎藤マイケル」

※この内容はフィクションです。実在の人物、団体、事件とは一切関係ありません。


僕は理系の学生だった。当時は貧しく、僕はつねに生物について考えていたが、アカデミックな書籍を購入する金を、手に入れることは難しかった。

僕の家は貧しかった。父親は会社員をしていたが、なかなか昇進できず、いつも帰ってくるのが遅かった。

だが今は僕の身の上話をしたいわけではない。

僕は猛烈に肉欲に目覚めていた。

僕は18歳で、なんとかしてこの自身の理性の障壁となる衝動を解決したかったし、また自己実現としての異性というのは、それは確かに自己のステータスと密接な関わりをもつものであったから僕にとって重要なことであった。

高校時代、僕はみすぼらしい格好をし、髪型にもかまわず、まるでガリ勉君という境遇をもっていたから。そう、僕は文化部で、手芸を愛し、女性を忌み嫌った。ぼくはダサかった。そして僕は僕自身を蔑みあざ笑う若者の価値観の平均値の磁場を本気で憎悪していた。

ぼくは大学で変わりたかった。

一流大学とは言えなかった。誰も名前も知らないような大学で、僕のキャンパスライフはスタートしたわけだ。リベンジをしたい。でもそのリベンジが、おそらく、その才能の種だとかハングリー精神が僕にリターンするなにがしかの社会的功績の果実は僕には与えられない。それはもう僕がそのようなルーツ(遺伝的先天的決定)を得た時点で明確に規定されており、赤と白の絵の具から黄色が生まれないように、また、黒人の男女から白人の赤子が産まれないように、これはまぎれもない事実であった。僕は生まれながらにして、夢を見ることを禁じられている。


そもそも見るがいい、電車にのる無数の人間の数々を。彼らは何か昆虫の標本のようにも見える。彼らの中の、一塊がなんらかの事故事件によって命を失っても、僕らの人口は一定のスパンを得て回復し元の状態を保つであろう。

そしたら僕というのは、排他的でかつ至高な快楽というものを得ることを禁じられている。僕はきっと今の状況でメディアに騒がれるわけでもなければ、格別ちやほやされるわけでもない。僕は、きっと国立の大学院に入ることはできない。


そのような前提は、何よりも僕を傷つけた。そのような不公平を。町を歩く数々の魅力的な女が僕ではなく「非本質的」な男を選好するというこの事実を。


僕はそれだから、なにか歪んだ形でのリベンジを望んだ。自分よりも劣った人間をすかさず探すこと。そしてその人間を見下し、甲高い声で嗤い、クズのレッテルを貼ること。そのためには味方が必要だ。



はじめてのコンパが来た。


(つづく)

君の香り

よし子はハンバーガーを今まさに食べんとす。

その小さな口の、突き出た前歯に、愛着をおぼえむとするなりが、

我がよしこの、その愛おしき前歯の、じつにきいろきことまさにようようなりけるに、

我おもふ、


「かく はむばあがあ の、おほきしこと河川の石のごとくなりて、よし子、パンの間にはさまりし肉の、スカトロを連想せしめること甚だし。」


かくして、創○学会がうまれしこと、げに見事なり。

The good night(2007)

あらすじをまとめると、

業績もさえないミュージシャンのオッサンがいて、美女の妻がいて超絶リア充に見えるんだけど夢に現実逃避してる。その夢に別の美女がでてきて、そっちに浮気してる。夢を追っかけているうちにだんだんキチガイになってきて奥さんは喧嘩して家出する。男は夢の女を追っかけていくうちについに合ってしまって友人のお膳立てでいいところまでいくんだけど、がっついた結果嫌われて終わる。オッサンはもう一度奥さんとの関係を直そうと奥さんのための曲を用意して会場に流すけど奥さんはもうオッサンのことを愛していない。オッサン車にひかれる。なぜか復縁。


という世にも奇妙な物語ってか俺のまとめかたが酷すぎる。


結局、肉体は衰えていくんだけども、心はそれについていけない。いつまでも目線が変わっていかないということ。これは恐怖なんだということ。

例えば、若い娘にとても欲情するとする。事実ファッション(異性を性的に誘惑する手段)だって発達しすぎている。そこに昔のようなパターナリズムによる規範は介在しない。

すると、そのように若い娘を追い求める煩悩みたいなものがいくら年を重ねても臨界点に達しない。心が熟していかない。これは怖いことだ。


どのように人を好きになっていくプロセスなのか。

果てしなく拡張していく性欲なのか。それは自然だ。だけどそれはHobbsの定義したConjugal Affection(家族愛)と並列は出来ないはずだ。きっと一つ生まれた裏切りは、安全であるはずの人間関係をズタズタに壊し、子供も壊していく。



僕は恐ろしい。




愛というのはこれほどに難しく、ストイシズムの先にも、快楽主義の先にも答えは無い。


生きるということはこれほどに難解である。



三島由紀夫というのは故吉本氏のいうように傷ついた子供であったかも
しれないけど、でもああいう生き方は立派であったし、多分それは対幻想(男女の問題)という範疇の外にも、たとえば戦争とか、敗戦とか、戦後の復興へのバイタリティとか、いろんな、みんなで共有できる大きな課題があったからじゃないか。

先進国の人間が、このように不幸に年を重ねていくことの背景には、社会的命題の欠如があるのではないか。




人々は豊かになり、食べ物にも困らず、アミューズメントは腐るほど溢れている。セックスも、セックスシンボルも溢れている。



ある意味病気だ


だけどそういう時代にぼくらは生きてる

孤独だぜ

20代後半というのは難しい時期だ。

若者であろうとあがこうとする気持ちと、自分の見た目が若者ではなくなっていくジレンマ。

男女関係をどう決着を付けるか、という命題(つっても彼女いないけど)

どのへんで落ち着くのかという命題。

こればかりは個人の自己決定の問題だから、普遍的な答えは無い。

でも幸せな家庭が作れたら、一番幸福なんだろうなとは思う。

一度それを手に入れたら、失ってしまう危険性とかも怖いけど

わからない。

でも最近公共の場で女性を意識するのが面倒になってきた。

まあよくわかんないや

プログラム関係のブログはhttp://keisugano.blogspot.com/のほうに’やろうと思う


アカデミックな内容を日本語で打つのがだるくなってきた

まあいいや。一日一日を一生懸命生き、自分が愛せるような人から愛されるように努力していくよ。

私は、愛されるために努力していくよ



私は無条件な愛は信じない。それは血縁だけだ。

無条件な愛というのは、つきつめれば

「自分は努力もしないし相手を幸せにできるようがんばることもしないけど、愛してもらえる」

という甘えだからだ。そこらに溢れているハーレム系の漫画やエロゲーなんかがそう。

モテキ」なんてのもそう。







いつも、自分の価値を高めていく、相手を愛し思いやれるようになっていく、自分を磨いていく、


そうやって生きていくしか他に選択肢というものを知らないさ